相州愛甲郡の宮ヶ瀬村にあった地蔵。
昭和のはじめごろ、大阪から来たというひとがやって来て、「家の者の病気が長いこと治らないので占ってもらったところ、宮ヶ瀬というところで地蔵が家の下になって苦しいと訴えたいので、体を借りたのだと言われた」と語ったので、このあたりらしいという地面を調べてみると、新しく建てられた家の下から、地蔵の像が出て来たといいます。
その地蔵には首がなかったので、大阪から来たひとは首をあたらしく造らせ、キチンと安置して帰って行ったソウナ。
和漢百魅缶│2023.05.12
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