北白河院は、善の徳をつまなかった結果、臨終のときに奈落の炎に包まれて苦しみ、畜生道におちて牛になってしまったといいます。むすめである安嘉門院[あんかもんいん]は嵯峨野の清凉寺のほとけからこのことを示されて、母である牛をさがしもとめたといいます。
その牛の死んだあとはその皮を寺の太皷[たいこ]や華鬘[けまん]にこしらえて、供養をしましたソウナ。
☆ 莱莉垣桜文 附註
北白河院(1173-1238)は持明院基家の娘で、後高倉院のおきさき。
清凉寺の牛皮華鬘[ごひけまん、ぎゅうひけまん]の縁起物語としてつたわるもの。「にんがいのはは」など、畜生道に落ちてしまった親だった牛の皮革をのちのち仏具に仕立てたものはいくつもあるようです。
和漢百魅缶│2016.11.02
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