城州の市原に出たというおばけで、ある鉢叩[はちたたき]の男が「ひとは寂しいところを怖がったりするが、われは怖くない、仏門のおかげだ」と豪語していたところ、ある日、三昧[さんまい]からの帰りにこの大男が現われたのに出遭って驚きまくって気を失い、家に帰ってからもうなされ続けて数日後に死んでしまったんどトサ。
☆ 莱莉垣桜文 附註
「三昧」というのは葬場のこと。この鉢叩の男は「我数年三昧に行[ゆき]かよふといへ共。をそろしとも思ひ侍らぬは生れ付の強勢なると信心の金剛なるとに有[あり]」と豪語していたソウナ。
『新御伽婢子』曰
「其長[そのたけ]弐丈も有らん大の男眼[まなこ]は鏡に朱をそそぎたる如く口鰐にひとしく耳の根へ切れたるが此男をつくづくまもりて立[たち]たり」
和漢百魅缶│2011.04.30
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