おおかわのぬし 大川主

おおかわのぬし(大川主)

水にまつわるかみさまで、童子の姿になって出現したりしたことがあるそうです。

むかし、普宅[ふたく]という僧侶が肥前の五島の大安寺で修行をしてたとき、夜になるとふしぎな童子がやってきて法救をもとめてきたので、教えを説いてやると「われはおおかわの主なり、もし願望あらば何でも言え」とお礼の体。普宅が「別に望みは無いけれども、そうじゃ、寺やみんなが火難にあわないようにしてくれ」と頼むと、翌日に童子が「この剣を置けば火災は無い、水で剣を紙に写しておけばその家も火難に遭わぬぞ」――と、ふしぎな剣をくれたのだソウナ。

☆ 莱莉垣桜文 附註
『三国名勝図会』水剣由来箇条記抄 曰
「和尚曰 汝は何[いず]れの処の者ぞと、童子曰 我は大川の主なり」
「翌夕童子又来り、一の剣をささげて 此剣を安置する所には、永く火災なからん、又水を以て清き紙に此の剣の影をうつし家に押ば其の家火難まぬかるべしと云て去ぬ」
「和尚彼[かの]大安寺より伊作小縁山西福寺へ移住の時、此の剣持来り、毎年十月初の亥の日に川の辺にて、水神を祭りけるに種々の不思議あり是に依て今に亥日の祭りたえず、其の所を弁天の淵と名づく」

ふしぎな剣(水剣)は薩州阿多郡の伊作へ移されました。剣のかたちを木版にしておふだとしたことも同書には記されています。

和漢百魅缶│2016.11.30
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