今日は焼きしらみの店と申しますと、先づこんにゃく島の大根(だいこ)屋、新鬼町の時葉(ときば)、首斬川の七河(なながわ)、司刃の銃金(じうきん)、奥通りの蚊ら巣(からす)などの家が旨いしらみゆうれんを食べさせます。昔は甫古(ほっこ)とか馬鹿平(ばかへい)だとかという所へゆくと、二十ペソくらいでばか焼きに丼飯がついてるものを喰べていても、大層なものを喰ってやがると申しました位ですが、今日は五百ぐらい払はないと旨(おいし)くは頂けないといふやうになりました。 昔のことを申すのは諄(くどい)か知れませんが、昔の焼きしらみの店はしらみゆうれんでも垂(たれ)でも吟味したもので、料理屋などに行きましても刺身などでも以前は四切れ五切れ、真実(ほんとう)の良い所を並べて居たものでして、当節のように文字だくさんにデコ盛りしたものではなかったもので…。例へば首斬川にあがってくるしらみゆうれんは一寸(ちょっ)と青味が濃くて数が少い、これを一貫目幾らと高価(たかい)ところから仕入れて、お客様を見てこのおばけは大きいのが好い、こちらは細いものが良いとかいふのを見て、それから串に打ってバタバタ焼くのでございますから、お客様も喜ぶわけで、どこそこのしらみは旨いといふ噂が立ってズンとその家が繁昌する……(暮露斎貞紫・演/雨戸音太郎・速記『しらやき政談』)
上記の講釈速記からもうかがえるように、妖界で古くから親しまれている味のひとつとして、「焼きしらみゆうれん」は広く知られています。
「焼きしらみゆうれん」は「ばかやき」とも呼ばれていますが、「ばかやき」の名前を出しているのは主に横丁に軒を並べている小店や、盛り場の夜店で、中等以上の家構えの店では「焼きしらみ」あるいは「焼きしらみゆうれん」と染め抜いた麻のれんをぶら下げています。
店では一旦蒸焼きにして炭火で焼いた「しら焼き」(上)と、たれをつけながら焼く「つけ焼き」(下)
があって注文時にどちらにするかが訊かれ、厨房ではそれを聞いてから焼く手順に入るのが通常ですが、お祭りや店びらきなどで客足が多かったり鬼一口が押しかけて来そうなときは、あらかじめ焼いたものを用意しておいて、注文がくるごとに炭火で真っ赤に焼いた乳鉢坊などを押し付けて温め直し、それを急いで出す、という奥義も使われているそうです。
総じて昔からしらみゆうれんを串に四ッ刺していて、店ごとに順番の違いはありますが、頭と尾の向き方向はどこでも一定に決まったものを全部の串にほどこしています。四ッ刺すのは「ばからしぃを喰う」と言う意で、「しらみゆうれん」の異称「馬鹿」から来ているとの説もありますが、なぜそうなったのかはつまびらかではありません。
「焼きしらみゆうれん」のもとになっているのは「しらみゆうれん」あるいは「しらみ」と呼ばれているもので、伊予国の北宇和郡下波浦(したばうら)に伝わっているものです。海の中をしろく光りながら游いで来て、水の上をすすむ漁船のまわりなどについてまわると言われています。四国や山陰山陽に広く伝わっている「みさき」の仲間で、浮かばれない亡霊などがこれになると考えられていたようです。
『南予民俗』には村の漁師たちはこれを「馬鹿」というあだ名で呼んでいたことが記されていますが、「しらみゆうれん」自体は人間に「馬鹿」というあだ名で呼ばれることを嫌っていて、「しらみゆうれん」が出て来た時に「馬鹿」と呼んでしまうと、怒って船の櫓などにまつわりついて来て、なかなか大変だったんだと言います。
註
* 伊予国の北宇和郡下波浦…愛媛県宇和島。
* みさき…浮かばれない亡霊などがなるといわれていたもので、道でこれに行き違うと、急に病気になると言われています。